
先日ご紹介した
カルチャーフェスタでの風景。
チルドレン・ミュージアムのテントの裏で、子ども達が自由にアート作品を作ってました。用意されているのは、骨組みだけ。そこに好きなようにフラフープのようなリングをくっつけていくんです。チビッ子が「ここにこういう風につけて!」とお願いすると、スタッフの方が「なかなかいいねー。」なんて言いながらテーピング。

もちろん、正解なんて存在しません。どんなふうに創ってもオッケー。伸び伸びと自由な発想を育むことが目的みたい。次第にチビッ子たちの目も真剣に・・・。フラフープの角度を微調整しはじめて、「この角度の方が好き!」とかアーティスト気分。
楽しそうだなー、なんて思いながらぼーっと見てたら、ふと、映画"Matrix"のワンシーンを思い出しました。あのスプーンを曲げる小さな男の子のシーンです。簡単に説明すると、主人公のNeoがある特別な場所で、念じるだけでスプーンを自由自在に曲げて遊んでいるチビッ子に出会います。Neoが、「どうやってスプーンを曲げるのかい?」とその子に聞くと・・・。
チビッ子:"Do not try to bend the spoon--that's impossible. Instead, only try to realize the truth."
(スプーンを曲げようとしないの。それはムリ。代わりに、真実に気づこうとするの。)
Neo:"What truth?"
(何の真実?)
チビッ子:"That there is no spoon."
(スプーンはないってこと)
Neo:"There is no spoon."
(スプーンはない・・・)
チビッ子:"Then you will see that it is not the spoon that bends--it is only yourself."
(そしたら、曲がるのはスプーンじゃなくて自分自身だってことが分かるよ)
映画では、Matrixという一種のバーチャルリアリティ・プログラムの世界の中で起こっている出来事だからスプーンは実在しない・・・、という意味にとれますが、よーく考えてみると現実の世界でも通じるメッセージのようにも感じます。つまり、限界とか、ルールとかを決めているのは他でもない自分自身じゃないかってこと、です。または、思考は実現するってこと・・・。うーむ、なんだかニューヨークにいると、まるで"
There is no spoon." と語りかけてくれてるようなシーンにしょっちゅう遭遇してるような気がしますね。
その理由は、やっぱりこの街の持つ多様性かなぁ・・・。自分と全く異なるバックグランドを持つ人々と出会ううちに、もっとよく自分のことが分かってきたり(ご参考過去ログ:
グローバル化時代への希望)、どんなにニッチでユニークなものでも受け入れられ発展したり(ご参考過去ログ:
Diversity is the beauty of our city!)、こういう現象が当然になってる社会環境では、"
There is no spoon."というシーンが結果的に増えるのかもしれません。
ポイントを適当に数式ふうにまとめると(笑)、
「自分を知る」+「ユニークな個性が育つ」環境="There is no spoon."なシーン多発
っていう感じでしょうか?
★追記(10/20):メールで寄せられた情報によりますと、この"
There is no spoon."は日本語字幕では「心を解き放て」と意訳されているそうです。
カルチャーフェスタっていう「文化のお祭り」だったから、余計、そう感じたのかもしれません。チビッ子だけに限らず大人についても、ニューヨークではいろんな国々、いろんな人々の文化やアイデアが尊重され、勇気付けられ、自由に発揮されることによって街全体の活気とか魅力が増している気がします。
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