今週発行した
うちのメルマガの特集記事で書いた内容を、どうしてもブログの方にも残しておきたいと思ったんですけど、ブログ用に改めて再編集して短くすると想いが十分に伝わらなくなってしまうので、以下、一部ですけど、冒頭からの主な部分を転記させて頂きます。
第96回:本当のヒーローは無名なのかもしれない
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
(1)車椅子で3回目のニューヨーク
あまりに沢山の思いが膨らみ過ぎて、
ブログの方には、結局、まだ書けて
いないけれど、先日、素晴らしい
出会いがあった。
神様に感謝したい、そんな出会い
だった。
まだイマイチ考えがまとまってなくて、
ブログの方ではいつ書けるか、
果たして、書くことができるのか
すら分からないけれど、
今回は、このメルマガで、
その出会いについて書いてみたい。
彼の名前は、松下さん。
先週、日本からニューヨークへ
観光旅行でやってきた
40代前半の男性だ。
ご出身は、ゆるキャラで有名な
フナッシーの地元、千葉県船橋市。
現在も、船橋市で公務員をされていて、
フナッシーのとても可愛いぬいぐるみを
お土産に頂いた。
今、その黄色いぬいぐるみは、
机の上の一番目立つところに
座っている。
松下さんが、初めてニューヨークを
訪れたのは約10年前のことだ。
当時、ニューヨーク・ヤンキースで
ご活躍されていた松井秀喜選手の姿を、
その目で見たいと思ったのが、
きっかけだったという。
彼にとって初めての海外旅行だった。
そして、初めて訪れたニューヨーク
に感動し、ニューヨークという街の
リピーターになった。
・・・と、ここまでなら、まぁ、
よくある話と言ってもいいだろう。
ニューヨークという街は、
他の多くの海外都市とは違って、
一度、訪れた人々を魅了する。
その後、何度も何度も、
人生の壁に直面した時や、
本当の自分の気持ちや心を開放
したい時などに、この街に帰って
くる・・・という人々を、世界中に
生み出し続けている。
でも、松下さんは他の世間一般の
方々とは1つ違うところがある。
それは、彼は、下半身を一切動かす
ことができない、ということだ。
すべての移動が車椅子。
初めていらっしゃった約10年前も、
今回のご旅行も、もちろん、
日本からマイ車椅子持参。
ニューヨークを度々訪れている方や、
こちらにご在住の方なら、
これからニューヨーク旅行に行か
れるという方から、どういった場所や
お店を訪れたら良いか等など、
ご相談を受けたことは、たぶん、
皆さん多々あるだろう。
でも、車椅子でいらっしゃる方から、
そんなご相談を頂戴したら、
皆さんは、いったいなんて答える???
確かにニューヨークの歩道は幅広い。
地下鉄やバス、タクシーなどでの移動も、
かなりの部分でバリアフリーになって
いるということも、一般的に言われて
いて、実際、よく耳にする。
しかし、何でもそうだと思うけど、
聞くのと実際に行うのでは、
大違いだ。
しかも、ここは世界屈指の大都会、
ニューヨーク。
いわゆる観光名所には、世界中から
たくさんの人々が詰め掛けていて、
お祭り騒ぎのように混雑している
エリアも少なくはない。
だいたい、自分の脚で立って歩けて、
走り回ることだってできる健常者だって、
コトバの通じない、文化や価値観の違う
海外の都市を訪れたら、そりゃ、
いろいろと思い通りにいかないことも、
山ほどあって当然だ。
いくら想像をめぐらせてみても、
健常者である私たちの多くは、
車椅子に乗ってこのニューヨークを
移動して、見てまわったことなんて
一度だってない。
そう、ただの一度もない。
もちろん、車椅子で訪れるニューヨーク
の見所情報などというものも、
ほとんど全く出まわっていないのだ。
だから、松下さんは、うちのブログ
を見てご相談のメールを送られた。
メールには、松下さんは、
これまでに2回もニューヨークを
訪れたと書いてあった。
初めて訪れたのは約10年前。
2度目のご訪問は、昨年。
その時も、やはり松井秀喜選手が
目的で、ヤンキース球場で特別に
開催された引退セレモニーを見たい
という理由から、たった一人で
やってきたという。
車椅子での一人旅だ。
【ご参考】
●ヤンキース球場での松井秀喜選手
の引退セレモニー
http://nyliberty.exblog.jp/20800445/
松井秀喜選手は、腕の骨折や膝の怪我
でも決して諦めることなく努力を続け、
2009年にヤンキースをワールド・
チャンピオンに導く奇跡的な
大活躍を見せた。
それは、メジャーリーグ史に残る
ほどの活躍ぶりで、そのワールド・
シリーズで、文句なし、断トツの
支持を得てMVPに輝いた。
また、真面目で謙虚なお人柄から、
チームメートはもちろん、
多くのヤンキース・ファンや
一般のニューヨーカーからも、
今でも非常に愛され続けている。
まさに、ヒーロー。
こちらに住んでる日本人なら、
松井選手が、どれほどのスーパー・
ヒーローなのか誰だって知っている。
でも、松下さんからのメール見て、
日本から遠くこのニューヨークまで
やってきて、その姿を一目見たいと
思わせる松井秀喜さんって、
いやもう、本当にすごい!!!
って改めて思わされた。
もし、松井選手がヤンキースに
いなかったら、松下さんはニューヨーク
に一度も来てなかったかもしれない。
もちろん、松下さんは、
直接、松井選手にお会いした
わけじゃない。
スタンドから観客としてただ眺め
ているだけ。
だけど、松井選手の挑戦し続ける姿は、
日本で車椅子生活をしていた松下さんに、
大きな勇気と希望を与えてくれていた。
車椅子でニューヨークまで
一人旅で行ってみようと思わせる
ほどの勇気だ。
そんな彼の3度目のニューヨーク。
今回は、松井選手を見る機会はない。
ヒーロー不在の旅だ。
ただニューヨークを楽しみたいけど、
車椅子なので、お忙しいところに
すみませんけれど、もしできれば
何かアドバイスが欲しいという。
で、まぁ、いろいろとやり取りが
あって、一度、お会いすることに。
車椅子を押しながら歩く
ニューヨークは、
今まで長年見てきたニューヨーク
とはまた別世界。
こんなにも変わるものなのかと、
驚かされることばかりだった。
いろんな意味で、素晴らしい
出会いになった。
皆さんの何かのご参考にもなる
こともあるかもしれないので、
そのときのことを書き残して
みたいと思う。
その前に、松下さんのごくごく
簡単な経歴をお伝えしよう。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
(2)そのお寿司屋さんの大将みたいになりたい
松下さんのご家族は、
ご両親、松下さん、妹さんの
4人家族。
松下さんは、生まれた時からの
ご病気で身体の筋力が弱く、
子ども頃から、杖をついて
生活をしていたという。
年齢を重ね、成長するにつれ、
身体を支える筋力がないという
ことから、中学生時代に、
金属の支柱を背骨沿いに入れる
大手術を行うことになった。
説明だけ聞いても、痛々しい
内容だが、実際の手術は、
本当に大変な大手術だった
そうで、執刀医は、当時、
日本で5本の指に入ると言わ
れていた名医が担当。
当然、莫大な費用もかかった
と思う。
詳しくは分からないが、
それだけ、松下さんのご両親は
息子のために頑張って働いて
お金を貯めてきたのだろう。
特にお父さんは、すべてを
息子のために捧げるつもりで
働いていたのかもしれない。
しかし、その手術は失敗して
しまった。
背骨沿いには、人間の身体を
コントロールする脊髄がある。
当時、中学生だった松下さんの
華奢な身体に、大手術によって
なんとか埋め込まれた金属の
支柱が、脊髄にダメージを与え
てしまったのだ。
そして、下半身不随に・・・。
それまではできていた
排泄行為すら、手術後には、
自力ではコントロールできない
状態になってしまったという。
少しでも状態を改善するには、
再び、激しい痛みと苦痛を伴う
大手術をしてその支柱を
取り除く必要があった。
死んでしまいたいくらいの
痛みと悲しみ。
生きることを諦める寸前にまで
追い込まれていた中学生の松下さんを、
ご両親は、なんとか説得し、
再手術を受けさせた。
今度の手術は無事に成功。
状態は改善し、排泄行為など
は自分でコントロールできる
ようになったものの、
成長した身体を支える筋力が
ない松下さんは、その後、
車椅子生活となった。
そう、だから、松下さんは、
中学生の頃から車椅子の生活を
続けている。
これだけだって、もう十分過ぎる
ほど壮絶な人生だってのに、
さらに大きな悲しみが松下さん
ご一家を襲った。
松下さんが高校生だった頃、
お父さんが亡くなられたのだ。
残されたのは、お母さんと
育ち盛りの松下さんと妹さん
の子どもたち。
生きていくためには、
それまで家庭で主婦をしていた
お母さんが働かなければ
ならない。
そんな松下さんご一家に
手を差し伸べてくれた
方がいた。
亡くなられたお父さんが
懇意にしていた東京の江戸川区
にあるお寿司屋さんの大将だ。
辛い思いや、苦しいご経験が
ある方ほど他人に優しくなれる
と言う。
きっと、生まれつき障害を
持つ息子のために、
まさに本当に命がけで一生懸命
働き続けていた松下さんのお父さんは、
それだけ素晴らしい方だった
のだろう。
お寿司屋さんの大将は、
失望のどん底にいた松下さんのお母さんに、
「もし良かったら、
うちのお店で働きませんか?」
と優しく声をかけて下さった。
それから現在まで、松下さんの
お母さんは、そのお寿司屋さんで
働き続けているという。
松下さんが高校生くらいからの
ことだから、かれこれ30年近く
になる話だ。
30年ってのは長い。
この30年もの間、日本では、
好景気・不景気の波が繰り返し、
特に飲食産業では、入れ替わりが
激しかったと思うけど、
このお寿司屋さんは、今も変わらず
人気店なのだという。
そりゃそうだろう。
大将の志がハンパじゃないんだから。
この30年もの間、
毎月、毎月、松下さんのお父さんの
「月命日」に、その大将が自ら
特別に作ったお寿司のプレゼントが、
松下さんご一家に贈り続けられ
ているという。
ドラマのような話だけど、
実話だ。
そんなお寿司屋さんの大将の
ような素晴らしい方々に支えられ、
松下さんは、育ってきた。
想像を絶する悲しみと苦しみの
どん底から、這い上がり、
今、こうして車椅子の一人旅で、
ニューヨーク旅行まで
できるようになったのだ。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
(3)車椅子でも楽しめるコース
そんな松下さんの経歴は、
実際にお会いしてお話を伺うまで
詳しくは分からなかったけど、
頂戴したメールの文面からも、
すでにかなりのお人柄の
持ち主であることは、
すぐに分かった。
ただものじゃない。
何かある。
そう感じさせる彼のメールに
つき動かされて、実はかなり
慌しいスケジュールになってた
んだけれど、旅の相談に乗り、
実際にお会いし、街を案内した。
今後、車椅子でのニューヨーク
旅行のご相談を受ける方も
いらっしゃるかもしれないので、
どういうコースを訪れたのか、
少し書き残しておく。
まず、松下さんからは
セントラルパークに行ったことが
ないので、もしできれば行って
みたい、というリクエストを
頂戴していた。
皆さんもご存知の通り、
セントラルパークは、
もはや公園と言うよりも森に近い、
とてつもなく巨大な公園だ。
じゃぁ、分かったと何も考えずに
セントラルパークへ行っても、
あまりに巨大過ぎて、
健常者でも、その全てを一度に
見てまわることはほぼ不可能。
体力が足りず、疲れてしまって、
その魅力を十分に体感すること
は難しい。
どこからセントラルパークに
入るか、どういうコースで中を
移動するかで、その感想は、
かなり変わってくるだろう。
また、せっかくニューヨークを
訪れた松下さんには、当然、
ニューヨークならではのお食事
も楽しんで頂きたい。
でも、どこでも良いというわけ
にはいかない。
車椅子で楽しめるお店である
ことはもちろん、持病のため、
食が細い松下さんでも満足して
頂けるところじゃないと
意味がない。
いわゆるアメリカ的な、
大きなプレートにメインの一品
以上に添え物のフライド・
ポテトが大きな山積みになって
出てくるものではダメだ。
さらに、道中、もし松下さんが
トイレに行きたくなっても、
困らないよう、車椅子でも入れる
トイレが比較的近くにある
コース取りをする必要がある。
また、車椅子でも快適に移動
できる幅広い歩道が整っている
ことは大前提だ。
なお、松下さんが滞在されたのは、
ミッドタウンのパークアベニュー
沿いの37~38丁目間にある
「キタノ・ホテル ニューヨーク」。
そこからの移動も考慮しないと
いけない。
・・・とまぁ、いろいろな条件の
もと考えたコースに基づいて、
実際に通った順路は、以下のもの
になった。
1. キタノ・ホテルから3番街へ
徒歩移動
2. アップタウン方面行きのバス
に乗車。(ニューヨークのバスは、
全車両が車椅子でも乗車できる仕様
になっていて乗車賃も無料)
3. 86丁目で下車
(周辺は住宅街アッパーイースト
の中心部)
4. 86丁目沿いの3番街~レキシン
トンアベニュー間にあるNY No1.
ハンバーガー屋さん、シェイク
・シャックの支店で昼食
(ここの店舗は周辺が住宅街のため、
お客さんは主に地元の方々で、
店舗自体がマンハッタン最大規模
のため、快適)
5. 86丁目沿いをセントラルパーク
方面へ徒歩移動
6. セントラルパーク沿いの5番街
(=ミュージアム・マイル)へ
7. ミュージアム・マイルを南下し、
メトロポリタン美術館前など
を通過
8. セントラルパークの76丁目入口
から内部へ
9. 途中、「アリスの不思議な国」像
やラジコン・ヨットの池へ。
10. 妹さんへのお土産の話になって、
いったんセントラルパークから
出て、すぐ近く(マディソン街と
70丁目の交差点付近)にある
「クロエ」へお買い物に・・・。
11. 再び、67丁目入口からセントラ
ルパークへ
12. セントラルパーク最大の並木道
(モール)を抜け、雑誌やテレビ
番組などでもよく出てくる広大な
芝生広場(シープメドー)へ。
木陰で休憩しておしゃべり。
13. シープメドーからは南下して、
セントラルパークを出て、
5番街沿い58~59丁目間にある
アップルストアへ。
14. 妹さんへのお土産を探しに
その近くにあるバーニーズ・
ニューヨーク本店(マディソン街
沿い60~61丁目間)へ。
15. その後、ミッドタウンの5番街
エリアにあるサックス・フィフス
などのデパートやお店をまわり、
42丁目のグランド・セントラル駅
構内を抜け、さらに南下し、
キタノ・ホテルへ。
ニューヨークにお詳しい方なら、
たぶん、お気づきになられたと思うが、
最終的には、結構な移動距離になった。
同じコースを、健常者の方が辿っても、
途中にうまく休憩など入れないと、
相当、疲れるかもしれない。
まして、車椅子で…となると、
さぞかし大変だったんじゃないかと
思われる方も多いだろう。
でも、それが、実際に松下さんの
車椅子を押しながら、このコースを
進んで行ったら、もうめちゃめちゃ
楽しくて、感動、感動の連続で、
疲れなんてまったく感じなかった。
むしろ、もっと行っても良かったかも?
と思ったほどだ。
なぜかというと、車椅子を押して
ニューヨークの街角を歩いていると、
道行く人々が、今まで見たことない
くらい、すれ違う人、すれ違う人、
ほとんどみんな、ものすごい笑顔で
微笑みかけてくれるからだ。
しかも、その笑顔は、
車椅子に座っている松下さんへ、
だけじゃない。
車椅子を押している私にも、
大人から子どもまで、
見ず知らずの道行く人々が、
次々に、慈愛に満ちた笑顔で
微笑みかけてくれる。
道を開けてくれるのは当然で、
"Hi"とか"Have a good day"とかの
挨拶や、何か手伝いましょうか?と
声をかけてくれた方もいた。
やっぱり、相当な困難を乗り越え、
誰よりも精一杯に生きている
松下さんの持つ独特のオーラというか、
雰囲気も、多くの人々の心を動かす力
になってるような気もするけど、
とにかく、見ず知らずの道行く人々が、
次から次へと、笑顔で微笑みかけ
てきてくれるのだ。
途中、立ち寄ったお店やデパートでも、
今までみたことない光景を、
何度も、何度も、何度も見た。
本当にビックリした。
例外的な方もいるにはいるが、
一般的に、ニューヨークのお店の
店員さんは、日本と比べると
かなり接客態度がよろしくない。
文化とか、勤労意欲の違いによる
ものだとは思うけど、そのへんの
ドラッグ・ストアやデリなどで、
お客がきても働かないのは
当たり前。
この時期だと、暑いから
アイス食べながら、
ゆっくりダラダラとレジを
うつ店員さんもよく見かける。
高級ブランド店やデパートでは、
そこまで酷くはないものの、
日本と比べると、働く気がある
のかないのか分からない、
素っ気無い態度の人が圧倒的に
多い。
たまに、気の利いた店員さんがいて、
それじゃぁと商品に関する軽い質問を
してみると、ほとんどの店員さんに
商品知識はなく、平気でデタラメな
説明をする人までもいる。
だから、車椅子の松下さんが
ニューヨークのお店でお買い物
するのは、さぞかし大変だろうから、
できる範囲で、一緒に行ってあげますよ、
という話になった。
敷居の高いお店もあるし、
そもそもコトバの問題もある。
だけど、良い意味で、
自分が想定していたものとは
全然違う対応を、いく先々のお店、
お店で受けることになったのだ。
日頃、ツンとした態度のブランド店
の店員さんが、めちゃめちゃ素敵な
笑顔で、車椅子の松下さんに話しか
けてくる。
それこそ、
「私はこの日のためにここにいる」
って本気で思ってるんじゃないかっ
てほど、ものすごく心をこめた
接客ぶりだ。
それも次から次へ・・・。
なんじゃこりゃって感じ。
こんな接客、ニューヨークで
今まで見たことなかった。
デパート内でも同じ。
とあるデパート内で、進行方向に
階段3段くらいのちょっとした段差が
あって、どうしよう、まわり道しないと
ダメかな・・・と思った瞬間、
どこからともなく店員さんが
飛んできて、満面の笑顔で、
松下さんを車椅子ごと持ち上げ、
段差を難なく通ることができた。
しかも、その後も同じような段差が
あると困るだろうから・・・ということで、
まるで王様に仕えるナイトのような
立ち振る舞いで、その店員さんは、
ずっと一緒にお買い物につきあって
くれたのだ。
別にそういう手配どころか、
お願いも何もしてないのに。
っていうか、その店員さん、
自分の持ち場をそんなに離れて
しまっても大丈夫なのか?
いや、きっと大丈夫なのだろう。
アメリカ、特にニューヨークでは、
こういう時、どうすれば良いかの
判断の大部分が、良くも悪くも、
店員一人一人の自己判断に委ねら
れていることが多い。
そして、その店員さんは、
この時、自分の持ち場にいるよりも、
松下さんのお供をすることが、
今、自分が最もやるべきことと
判断したのだろう。
うーむ。
This is New York.
ニューヨークでは、こういうことが
よくあるのだ。
行く先々で、この調子。
夏のニューヨークの昼下がり、
ミッドタウンの街角で、
多くの方々が素敵な笑顔で、
車椅子の松下さんに、
そして、車椅子を押している
私にまで、微笑みかけ、
声をかけてくれた。
微笑み返す松下さん・・・。
なんて、なんて美しい光景なのだろう。
視界の中にいるすべての人々が、
柔らかい幸せのベールに包まれ
ているみたいだ。
正直、こんな光景、初めてみた。
もちろん、自分が車椅子の方を
見かけたら、道を開けるのは当然で、
もし目が合えば微笑みかけるし、
困っているようなら喜んで手を
差し伸べる。
でも、逆の立場で、
車椅子や車椅子を押している方の
側の目線に実際に立ったのは、
今まで一度もなかった。
自分はこれまでいったい
このニューヨークで、
何を見てきたのだろう?
この街には、少しでも弱者を
守ろうと手を差し伸べる人が
こんなにもいるとは・・・。
無名のヒーローたちがそこらじゅうに、
しかも、大人から、やんちゃそうな
若者やチビッ子まで・・・。
なんて素晴らしい街なの。
でも、だからこそ、あんなことや、
こんなことが、街角でいっぱい、
いっぱい起こるんだろうなーなどと、
過去の様々な記憶と結びつき、
合点がいくことがどんどん出てきた。
この街では、誰もがヒーローなの
かもしれない。
なんでこのことに、もっと早く気づか
なかったのだろう?
車椅子を押しながら、そんな風に
いろいろと思いをめぐらせていたら、
ここだけの話、なんだか目頭が熱く
なってきて、涙が溢れそうになって
しまって、それをグッとこらえるのは、
もう本当に大変だった。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
以上、メルマガの特集記事の一部。
松下さんがお一人で訪れたというダンボの写真
お土産に頂いたふなっしー〔ご参考〕
・
メルマガ「ニューヨークの遊び方」:続きはこちらから
もう少しで100号となるメルマガですが、最近はだいたい毎回、特に、本気でニューヨークへ事業展開されたいビジネスマンの方々とか、様々なジャンルでグローバル時代に本気で活躍されたい方々向けの内容を書いています。ブログよりもさらにディープ。あまりにディープなので、まぐまぐの担当者さんからタイトルをビジネス書風に変えませんか?などとアドバイス頂いてたりするんですけど、完全にビジネス書風なタイトルに変えちゃうと、今回のような記事はちょっと書きにくくなっちゃう気もしますし、どうしようかなーと思案中。
※コメント欄にはログインが必要です。お手数をおかけしますが、ExciteホームでID登録しブログトップでブログを開設してからログインください。既に登録済みの方はそのままご利用頂けます。
「人気blogランキング」