
ダウンタウンにあるニューヨーク大学(NYU)キャンパス周辺で見かけた風景。白壁の古い建物の前に、赤バックに白字という、ちょっと目をひく看板がぽつんと1つ。よく見ると、いかにもニューヨークらしい言葉が書かれてました。
"The limits of my language mean the limits of my world."
「私の言語の限界は、私の世界の限界を意味する。」
日本にいる日本人が、自分の「言語の限界」が自分の「世界の限界」とか感じる機会は、なかなかありませんよね。
近年、外国人も増えていると言っても、日本の総人口のうち外国人が占める割合は今でもたったの1.58%。計算上は、日本では100人中に1~2人くらいしか外国人はおりません。
日本では周辺にいる人々の大多数は、みんな日本人。大人も子どももみんな日本語が通じ、言葉だけではなく、文化やライフスタイルや価値観など等も概ね共有しています。だから「世間体を気にする」とか「空気を読む」のような表現が日常会話に出てくるわけですね。その状態が当たり前になり過ぎて、特に意識してない方も多いでしょう。
これがニューヨークに来るとまったく状況が変わります。米国版の国勢調査(
2010 Census)によると、まず、ニューヨーク州に住むアジア人(Asian)は全体の7.3%。

この7.3%のアジア人の中には、移民の多い中国人や韓国人や東南アジア諸国出身者ほか、South Asian扱いでインド人も含まれるため、日本人だけに限ると1%以下(在留邦人数から計算すると0.4~5%?)ほど?!
100人中98人以上(ほぼ100人ですよね)が日本人という環境から、100人中一人も日本人のいない可能性もある環境へ…。
そうなると、いろんな物事や感覚が変わります。しかも、ニューヨークでは、日本人以外の人々もバラバラで、アメリカ人とは限りません。多種多様。世界中から集まった人々で作られている街なので、コトバも文化もライフスタイルも価値観も様々。その結果、日本では気づかなかったことに気づけたり、見えなかったものが見えてきたり、日常的にいろいろな発見も多く、自分の世界が広がるような感覚になってきます。
冒頭のぽつんとあった看板を見て、こういう素晴らしい環境にいるんだから言語は本当に大事よね・・・とか改めて思ったりして。
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