日本食レストランや日系スーパーも増えているので感覚的に意外な気がしますが、ニューヨークに住む日本人は実はかなりのマイノリティなのです。
直近の資料を見てみると、白人44.7%、黒人26.9%、アジア人9.8%。アジア人には中国人や韓国人なども含まれますので、日本人だけに限ってみればわずか数%ということになるでしょう。

確かに、お店や乗り込んだ地下鉄の車両に日本人が1人もいないということは日常茶飯事です。当然、自分の周りにいるほとんどの人達とは、言葉・歴史・文化的背景などが異なります。でも、それによって疎外感とか、孤独感のようなものを感じることはありません。世界中から多様な人々が集まっていることをみんながよく分かっているからでしょうか、ニューヨークには一人一人が他の人とは違うことを当たり前のこととして暖かく受け入れる雰囲気があります♪
こういう環境って、よくよく考えると貴重かもしれません。
自分と違う言葉・歴史・文化的背景を持つ人達と話をしていると、「へぇ~、そういう考え方もあるんだぁ」と気づかされることが多いのです。日常的にこれを繰り返していると、
「なんで、私はこう思うんだろう?」といった根本的な疑問について自然に考えるようになったりします。ある種の禅問答のような感じで意外な発見をすることも多くって、結果的に自分自身を頻繁に見つめなおすことになります。
一方、日本では、周りにいる殆どの人たちが日本人です。当然、言葉・歴史・文化的背景などは基本的に同じです。もちろん個々人の間で価値観の違いもありますが、違いを感じ取るというよりも、同じであることを確認しながら話をすることの方が多い気がします。協調性があると言えばそうですが、あまりに同じであることが当たり前になってしまうと、自分自身を見つめなおす機会が少なくなるかもしれません。
実際、私も日本にいた頃は、自分が本当に何を考えているかということよりも、世間体を気にしたり、当たり障りのないものを無意識のうちに選んでいたような気がします。
女の子だから特にそうなのかもしれませんが、自分自身がどう感じるかということよりも、みんながどう思うかということの方を優先させることも多かったかも・・・。それでも何の支障もなく生活できましたし、それはそれで楽しかったので良いのですが、でも、こうしてニューヨークに来て明らかに自分とは違う人達と出会わなかったら・・・って想像すると、ちょっと怖いものがあります(笑)。
例えてみると、あまりに同質性の高い社会というのは無人島みたいなものかもしれません。
無人島にたった1人でいたら、自分の背が高いのか低いのか分かりません。痩せているのか、太っているのかも分かりません。自分が優しい人なのか、イジワルなのか、マジメなのか、シャイなのかも、ハッキリとは分からないはずです。
何故なら、比較する相手がいないんですもん。あまりに同質性の高い社会の場合も、状況は違いますが結果は似たような感じになると思います。周囲の人達と自分に明らかな違いがないと、改めて
「なんで、私はこう思うのだろう?」と考えるチャンスは少なくなるでしょう。人と同じであることを尊重し過ぎる社会では、自分自身について深く知ることは難しいと思うんです。
21世紀は、本格的なグローバル化時代になるそうですが、日常的にもっと色々な国の人たちが国境を越え、言葉や文化の違いを越えて交流を深めていくと、世界はどういうふうに変わっていくのでしょう?この時代の変化がどうなるのか、実は、かなり楽しみなのです。
世界中の人達が自分自身の文化や価値観に誇りを持ちながら、お互いの違いを暖かく受け入れることのできる社会・・・。憎しみではなく微笑みが広がる、そんな素敵な未来が待っているのかもしれません。そして、そんな未来を築き上げるのは、他の誰でもなく今を生きている私たちの役割かなって、思うんです。今はまだそのための修行の身?!ですが、いつの日か世界中が、このニューヨークのように豊かな個性と多様性が調和する、そんな世の中になったらいいなと思います♪
どもどもぉ~♪今日のは私にとっては大作です(笑)。書き進めているうちにドンドン長くなってしまいました。あらららって感じです。もう、いろんなアイデアが浮かび上がり過ぎて、途中で書くのを辞めそうになるほどでしたが、なんとかまとまったでしょうか?最後まで読んでくれた皆さん、ありがとぉ~♥
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